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姫路に降った爆弾の雨


わたしの名前はアンナです。

日本とギリシャとトルコの混血でハープを奏でながら日本民謡を唄っています。

今日は姫路の祖母から聞いた戦争体験をお話させてください。


_____


わたしの祖母は1930年、姫路で生まれた。

曾祖父は姫路藩に仕えていた血筋で姫路の出身、曾祖母は仙台の出身でキリスト教徒、姫路ではキリスト教と英語を学校で教えていた。


その家に4人兄弟の唯一の娘として生まれた祖母。曾祖母の職業柄アメリカ人の知人も多く、家を貸したりもしていたので、祖母の幼いころの写真を見ると戦前なのに家にクリスマスツリーやサンタクロースの飾りが写っていることに驚いたものだった。

先祖が姫路藩より譲り受けた200坪の土地に建っている屋敷で姫路城を眺めながら暮らしていた。





祖母が小学生のころ、第二次世界大戦がはじまった。

外国人の出入りの多かった祖母の家はスパイ容疑でよく見張られていたと聞いた。

そして1945年、15歳になった女学生の祖母は戦闘機の部品などの製造するために、川西航空機の工場へ学徒動員で従事していた。

幾分と前だけど、祖父母と一緒に広島の大和ミュージアムへ一緒に行った時、祖母がいろんな軍機を指さしながら名前を教えてくれ、あぁ、おばあちゃんは戦争を経験したんだ…と実感したのを思い出した。


川西航空機の工場は姫路城から遠くない”京口”という場所にあった。

1945年6月22日の朝、B-29約60機がやってきて川西航空機姫路製作所を約1時間爆撃した。その時の死者はWikipediaで見ると341人となっている。

祖母は運よく助かったが、それから2週間も経たない7月3日、ちょうど祖母の誕生日の翌日の深夜から未明にかけて、今度は姫路の街全体にB-29による爆撃が2時間続いた。

夜中に目が覚めるとどこもかしこも燃えている真っ赤な光景が恐ろしかったと祖母は言った。焼夷弾という『焼き払うための爆弾』が祖母や母、そしてわたしの生まれた街に落とされ続け、姫路の街は一晩で焼け野原となった。


もちろん祖母の家も焼けて何もかもなくなってしまった。

ただ地中に埋めていた写真だけは残った。お茶屋さんから内側にブリキが張り付けてある木箱をもらい、その中に入れて埋めたと祖母に教えてもらった。どんな気持ちだったんだろうか、家族の大切な写真を土に埋めて守ろうとするのは。それを開ける時、写真に写っている誰かは欠けているかもしないと頭をよぎりながら。

一連の空襲により姫路では501人の命が失われたと言われているが、実際はもっと多いのかもしれない。姫路城は焼夷弾が命中したにも関わらず奇跡的に発火せず、その姿が今にも残る。当時、どれほど人々の心の支えになっただろうか。

戦争が終わってどう思った?と聞くと、祖母は

『あぁ、これでやっと死なずに生きることが出来ると思った。』と言った。


祖母の父親である曾祖父は満州で戦い、終戦後シベリアで2年捕虜となり日本へ帰ってきたが家族にうまく溶け込めず、PTSDから暴力をふるうようになり、家を出た。

『だからパパとはほとんど一緒に暮らしたことがない』と祖母が言った。


いつもあっけらかんと話してくれる祖母だけど、戦争で傷つかなかった人なんて一人も居ないとつくづく感じる。


空襲の中逃げ惑う恐怖、親が子を想い、子が親を想い、生きた心地がしない時間。

大人ばかりか子どもにさえ食べさせるものがない飢え。

この世界に生まれた誰がこんな想いをするのに値するのだろうか。

たったの一人とてこんな目には遭わせてはならない。


2016年わたしは結婚し、翌年奇しくも川西航空機姫路製作所のあった場所に建っている家へと越し、今では子供二人をここで育てている。

幸せな毎日を、あの日爆撃に遭い祖母たちが逃げ回った地で生きることが過去への慰めであり、また自分の血を癒しているのだろうか、とふと想った。

しかし同時に飲み込むことの出来ないつっかかりを感じた。


自衛隊のそばを通ると見える戦車。武器を作り、それを輸出しようとしている日本。

ロシアとウクライナの戦争を見てはどちらかが悪いと決めつけ一方的な報道で憎しみと恐怖を増やすメディア。

あの時亡くなった数えきれない人たちはどうして成仏できるのだろうか。


生きたかった明日、抱きしめたかった大切な人、

愛しい日々が消えたのは何のためだったのか。


忘れてはならないこと、それは戦争の裏には儲けている誰かが居ること。

そしてそういう人は戦争には行くことはないということ。

だからわたしたちの中に憎しみや恐怖の種を巻いて、わたしたちの中で戦争が正当化される必要がある。

そうしたら戦争が起こり、わたしたちは戦争に行き、戦い、殺し、死に、戦争に行くことのないその誰かは大儲けをする。

でも自国であっても敵国であっても、戦争へ行った者は誰一人として得をせず、そもそも戦争なんてしたくない人たちでしかない。毎日を笑って泣いて生きる、国が違うだけの同じ人々。


わたしたちは金儲けの道具ではない。


軍事費を増やす必要がある、戦争が起こるかもしれない、もしそのようなことをこころのどこかで想っていたら、それは誰かのまいた憎しみや恐怖の種から出た芽ではないのか。

どの道わたしたちは生まれた瞬間から致死率100%。

だからこそ戦争という死に方だけは選びたくない。

わたしたちがもう少しだけ賢くなって、巧妙に隠されている”種まき”にみんなが気付くことが出来たら、戦争はなくすことが出来ると信じている。


もう戦争はいらない

もう銭争はいらない



そろそろ大人として、子供たちの未来について考えませんか。



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