無言館
- ひがし ちか
- 4月16日
- 読了時間: 6分
何がきっかけだったかは、思い出せないのだけど、私のGoogleマップの行ってみたいリストに数年入っている「無言館」という気になる場所があった。
時々思い出しては出向くことのないままでいた。
今年の初めに、バイオリンの演奏会に誘われ、そのチラシには、
演奏前に講話と記載してあり、話り手「無言館」館長 窪島誠一郎とあった。
え!あの、行きたい無言館?と、導かれるような気持ちでその催しに出向いた。
そこでのお話は素晴らしく、笑いと涙と、一人の人間の人生と、その人のユーモアと美意識と、、、、
私はもう無言館にすぐにでも行かなくちゃ、と思いながらの数日。
その矢先、今度は近所の友人から
「無言館って知ってる?みんなで行かない?」とお誘いが。
直ぐに日を決めると、5人が集まった。みんなそれぞれの出会いで、行きたかった(数年ぶりの再訪の方もいた)ことが、さらり重なりこれもなんだかいい流れを感じた。
私たちが住む場所からは、2時間くらいかかる上田市という場所で、しかも雪道の季節。
ひと山超える場所にある。車内でおしゃべりもできるから、みんなで乗り合わせて、1台で行こう!ということになりお昼食べるところまで目星をつけて、私たちの小旅行が始まった。
そのうちの一人が、みんな共通のお友達のパン屋さんのスコーンを車中のおやつにと5個、茶色い紙袋に入れて持参してきてくれた。
その店主に今日のお出かけのことを話すと、「婦人たちのピクニック」と名付けてくれて、ああ、私たちって中年なんだわね、ふふふ。と、おしゃべりと笑いが絶えない車内だった。

前置きがすごく長くなったのだけれど、大事なこの目的地の話をしたい。
戦没画学生慰霊美術館 「無言館」という美術館へ行ったのだ。
文字通り、戦争で亡くなられた画学生の作品を集め、所蔵し、展示する美術館であり、その名が「無言館」である。
その館長さんが窪島誠一郎氏である。彼は激動の運命を辿りながら、画学生の絵を日本中で収集しこの場所を開いた。
今、私が1行この言葉で済ませては申し訳がないくらいの膨大な時間と熱量と、大変さがあったと思うと、私がこのようにテキストで簡単に書くことがおこがましいし恐れ多い。
戦没した画学生の絵を全国から集めた美術館を設けるという、誰も思いつかなかった、そして実行した(し続けている)エネルギーがこの場所には溢れている。
というのは、前置きした講演のお話の中で、美術館の運営は助成金などは受けておらず一切、ご自身の資金と寄付金で成り立っていますと仰っていたから。
その理由は、公的機関の助成金を受けると、もし政府の動向次第では展示の意図を変更しなければならないなど、大いにあり得るからと。
その講話の中で、彼はユーモラスに、毎月の返済額と銀行名まで話していて会場に笑い声が上がった。そんなご苦労も笑いと共に、そして悲惨な過去を絵画を持って強い伝え方をされているその眼差しに脱帽した。
窪島誠一郎氏は、作家でもあり多くの著書があるので、彼の生涯や人間性について興味があればぜひ彼の本を手に取っていただきたい。
私が、ここで書けるのは、自分が感じたことと、このような場所があること。
ぜひ一人でも足を運んで欲しいと願う気持ちを記したいと思う。

私たちが出向いた日は、吐く息白く、積雪の頃。
少しだけ高台にあるので、街が一望できて気持ちの良い澄んだ場所だった。
着いてまず、コンクリートの洗練された建物に驚いた。
後で受付の方に設計者を尋ねると、窪島氏だと聞き多才さに驚き、そして細部まで展示する絵を、画学生のことを考えに考えてのこの建物の設計とデザインだったのだろうと感じた。
入館すると、5人それぞれのペースで静かにゆっくりと拝見した。

1枚ずつ見応え、読み応え(手記や、家族へ送った手紙などもある)があり、あっという間に1時間が過ぎていた。出口で、なんとなく合流して、そのあと、数分歩いた坂道の下にある 「第二展示館 傷ついた画布のドーム」へ移動した。ドームの最終章のようにオリーブの読書館へたどり着き、最後の展示室を通ると、素晴らしい図書館があり、ここは1日居たくなる場所だった。
私たちは終始何かそれぞれに感じ、考えていた。言葉にするのは、むつかしいが、思ったことがあった。
私は心のどこかで、この場所へ来ると泣いてしまうのではないだろうかと思っていた。
しかし感傷的に涙が出てくるということがない自分に驚いた。
展示されている絵は、現在の発色とは全く異なる絵の具の時代性を想像したし、美しい文字で書かれた絵葉書の熱量。
そして、なによりも絵に見入ってしまったのだ。めちゃくちゃいい構図!とかああすごい綺麗な色。隅々まで見てしまう。剥がれている箇所、汚れやシミまでも何か語りかけるように
色、構図、パース、人物などについて考察し想像したりする。大胆な筆圧、繊細で驚くほど精密な絵、凛々しい絵、現代の作家のような雰囲気の絵に感じたものもあった。そして何よりもそれ自体が放つ佇まいの強さと優しさ。
こんな風に1枚1枚の絵に見入っていると、この作品たちがどんな背景で描かれたのか暫しどこか遠くへ感じた。ただただ、絵の世界を感じる自分が居た。
次の絵を見るために少し隣へ移動する。次の絵に向かう、この額縁と額縁の間のコンクリートの壁が現実へ引き戻し、ああ、ここはこういう美術館だったんだと思い出す。
この感じ。もしかしたら、戦争中の画学生もそうだったのかもしれない、と勝手に想像してしまった。つまり、彼らは絵を描いているときだけは、絵のことだけに夢中になることができ、キャンバスから離れた瞬間に現実に戻される。戦争という現実に戻されていたのではないかと想像した。その境目の切実さを想像すると胸が張り裂けそうになる。
窪島さんがおっしゃっていた。
「彼らは描きたくて描いたんです、誰からも依頼されて描いてはないのです」
その強い言葉はまるで、画学生から何かを受け取るような気持ちになった。
私はこの場所に出会えたことがありがたいと思った。
話が前後しているが、年始に聞いた講話の最後に窪島さんは詩を読んで結びとした。
その彼の詩を、私も結びとさせてください。
この道には 窪島 誠一郎
この道には スミレが咲いています
この道には 小鳥が啼いています
この道には 子どもがあそんでいます
だから
この道には 戦車は入れません
だから
この道には ピカは落とせません

無言館
画学生の作品の修復、複製化、保存環境の整備などに特化した基金 寄付先
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