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長崎へ。



今回の旅の目的は五島つばき蒸留所へ研修に伺うことでした。

福江島のフェリーの時間が迫っていたので駆け足ですが長崎原爆資料館へ

2時間ほど伺うことが出来ました。






小さい頃に訪れたことがあり、覚えているのは爆撃で首がとれた浦上天主堂のマリア像。

もう40年も前のことですが、うっすら記憶にあります。


長崎に原爆が落とされたのは1945年8月9日のこと。広島は8月6日のことでした。

私が産まれる僅か30年前にあの惨劇が。

こんな平和の時代に思いもよらない出来事です。


今回歩いた長崎の街中は、ほとんどがといってもいいほど原爆の被害を受けています。

日常の暮らしのなかではわからないほど美しい街並みの長崎。

驚いたのが98%外国からのお客様。ツアーではあるけれど、いろいろな国から来ています。


資料館のなかでお母さんにおんぶされて観ていた幼い子が、あの人は警察官なの?とお母さんに質問していて。展示物にあった、学生服を着ていた男の子でした。被害に遭われた方々の展示だったので写真を見ただけで、警察官だと思ったのかもしれません。


こんなにちいさな子にとって80年前にこの地に悍ましい惨劇があったなど知る由もありません。この子に原爆の事実を教え、またそのこどもたちに語り継がれなんて残酷なことだろうと涙が溢れて仕方がなく。


最後の展示物でみた核兵器の保有国の数にも驚きました。悔しくて涙がとまらず。自分に出来ることは何かとここに訪れた人々は誰もが思う筈です。


時間が無くて平和記念公園まで行けず。小さい頃に行った浦上天主堂へも時間切れ。

街中の風景をつくる路面電車は五分おきの感覚です。


原子爆弾落下中心地碑のある爆心地公園へ。

ここは爆心地であった為、何も残っていない場所に旧浦上天主堂の遺壁が移築されていました。崩れ落ちた遺璧の跡には鳩が飛んで舞い上がりまるで平和の象徴のような青空と白い雲。五島へ行くフェリーの時間が迫っていましたがしばらくこの遺璧の前で立ち尽くしました。





前日、軍艦島が高波で欠航になり稲佐山の夜景ツアーに申し込みを。

こんなに美しい長崎の街並み。

しかし、目の前に広がる美しい景色は当時はほぼ全て原爆による被害を受けた街。

いまはこんなにきらきらと輝き、原爆の惨劇など、どこにも見当たりません。

ここから復興してきた街並みなのだと稲佐山の上から港を眺めました。





腹ごしらえに長崎の中華を。どこで何をたべても美味しい長崎の街。

シュガーロードと呼ばれ、砂糖の通り路であった長崎。

あらゆるものが砂糖の甘さで驚きです。かといって甘すぎもせず、塩っぱさと甘さでやみつきに。この土地の方は、みんながみんな日常的にちゃんぽんや皿うどんを食べている。


観光地の特別な料理だけではなく現地の方と同じもの、そして家庭料理を食べたくて街中の家族経営の街中華に。

春休みだったので、ここの家の子の小学生の娘さんも働いていた。

海鮮ちゃんぽん、海鮮皿うどん、瓶ビール一本ですね。

といって、頭に三角巾巻いて慣れない手つきで注文をとりにくる姿が可愛かった。


またここに来たい、と思える長崎の街。

故郷のようなやさしい思い出。








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