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ともちゃんの記憶、私の旅




マーティン・ルーサー・キングの言葉に

「無知は真理を無視するだけでなく、平和を破壊する」 というものがある。




学校で太平洋戦争について学ぶ時、いつも居心地の悪さを感じていた。アメリカ人の父と日本人の母から産まれて日本で教育を受けてきて、「勝った国」のした残忍さ、「負けた国」の立たされた苦境、その後の歩み、恩恵、歪みを学ぶことは心苦しさと、目を伏せたい気持ちになった。






だけど、毎日揺れ動く世界の情勢を見る中で、平和について私ができることは何だろうと問いたとき、それは私自身が自分のルーツに起こった戦争を学び、平和について考え、今できる行動をし続けることだと思った。



2024年はそんなことを思いながら各所を訪ねた年だった。このレポートでは長崎で出会った85歳のともちゃんの戦争体験のインタビューと、広島、鹿児島の資料館を訪ねた後、思ったことを記録します。










———



2024年11月28日  長崎


中浦知成(なかうら ともしげ) さん現在85歳

通称ともちゃんへのインタビュー






-ともちゃんが戦争を体験したのはいつでしたか。


生まれた時から戦争中だったよ。1939年生まれだから。戦争の怖い経験したっちゅうのは昭和20年(1945年)か。本土決戦になってからだね。


その時に米軍のいろんな戦闘機が飛んできて…。

小さい船に乗って海で遊んでた時に、機銃砲でばばばばばばっと打たれたこともある。だから海に飛び込んで、船の下に隠れたけどね。


あとは照明弾っちゅうのがあってね、それが落とされると光がそのあたり一体をワーッと明るくするんですよ。そうすると、その近所が全部見えるわけさ。「あそこに人がいる、ここに人がいる」ってね。それで見つけて撃つわけ。


その照明弾が私が表にいる時にたまたま落ちてきてね。家に逃げて帰ったら、 近所のおじさんがうちの家に飛び込んできて、鍵を閉められて、私は家の中に入れなかった。

そういう思い出がある。 わんわん泣いてね。姉が飛んできて、やっと鍵を開けてもらったおかげで助かったけどね。

そのおじさんの顔と名前、今でも覚えてる(笑)やっぱり記憶に残るね。



-戦時中、辛かったことは何でしたか。


そういう怖さは味わったけど、やっぱり食べ物がなかったことが一番辛かった。

防空壕に行くときはいつも大豆を炒ったやつを持って入った。それだけがおやつだった。食べ物は全然なかったね。



-戦時中で嬉しかったことは何ですか。


やっぱり盆と正月だけはご飯をいっぱい食べられたことじゃなかろうか。それが1番のごちそうだったね。銀シャリを食べられたのはその時だけだったから。

その頃は肉もなかった。肉っちゅう存在も知らなかった。ただ飼ってる鶏を盆と正月だけ潰すわけ。それを料理して食べたんだ。




-戦時と戦後、何が1番変わったと思いますか。


やっぱり自由っちゅうか。要するになんでも物が言える。言葉が言える。

当時は迂闊(うかつ)なことを言うと、ない話でも「あそこの親父がこういう話を」って誰かが憲兵にすぐ話すわけですよ。そうするとすぐ引っ張られていく。

めちゃくちゃですよ。どこで誰が告げ口をするか分からない。人間不信になる。

そんな時代だったんだよ。

うちの親父なんかはずっと睨まれてましたから。当時、親父は中央公論っていう本があって、それを毎月読んでたんです。あと、朝日新聞をとってたから余計ね。目つけられて、警察が来たりした。




-新聞を読んでることが目をつけられるきっかけになるんですか?


新聞とか中央公論には評論家がいろんなこと書いてたから。「戦争は良くない」とかね。

そういうのからうちの親父は「こんなバカみたいな戦争して」「もう日本は絶対負けんだから」って家の中では言ってた。外で言ってたら憲兵に連れていかれちゃうからね。

国のいうことが絶対だったから。

逆らうといたぶられるし、牢屋に入れられた。




-当時、戦場に行く兵隊の方を見送る心境というのはどういうものでしたか。


すごいな。俺たちも大きくなったら戦争行かんといけないやろかとかさ。行ってもらわないととか。いろんなこと考えよったけどね。

地域から出兵する時は小さい日本の旗持って駅まで一緒についていって。天皇陛下バンザイ、バンザイって言って見送った。




-戦争の何がこわいと思いますか。


人が正気じゃなくなっちゃう。

それが戦争なんですよ。


戦争に行った人の話もよく聞いたけどね、やっぱり日本兵もひどいことしてますよ。

外国人を並ばせて一人ずつ切っていって、 最後に首の皮を1番薄く残して切れたのは誰だとかいう競争をしてたとか。

それを、「こんな体験した」って自慢げに話すわけ。外国人は、人間扱いしてなかったちゅうて。全然悔いてなかった。




-それを自慢話にするのか、と思ってしまいます。でも、もし戦争中に今の話を聞いたら、どう感じていただろうかとも考えます。

その切った相手が同じ日本人だったらそんな “勲章”にはならないはずじゃないですか。

でもそれが「敵」や「外国人」だったから自慢話や賞賛になる。そのことが恐ろしいです。


だから戦争っちゅうのは、価値観がおかしくなるんですよ。自分が本当の自分じゃなくなってくる。

悔いてる人もいたけどね。自慢話の方が多かった。何人殺したとかさ。

悲惨な話がやっぱり多かった。

8月15日に終戦になって、日本が全部武器捨てた。 その後にソ連が攻めてきたんだ。それでずいぶん捕虜にされた。

その中に、私の同級生で命からがら隠れながら引き上げてきた奴がいたんだけど、道中で自分の弟がうわっと泣いたから、パッと口を塞いで。そのまま首を絞めたって言ってた。




-え、弟の首を?


うん、そうせんと家族全員敵に見つかって撃たれちゃうから。

とにかくみんな、自分が生きるのに精一杯だった時代だった。

足音がすれば敵じゃないかと思うしね。

全てがそういう風に見えたっちゅうか。

だから間違って味方を殺した人も何人もいたみたいよ。そのくらい恐怖と自分が生きることに必死だった。



-ともちゃんにとって平和とは何ですか。


やっぱり戦争がないことですよ。どこでも平気で行けるしさ。

自由にものが言える。それも平和の証だね。

あとはご飯がお腹いっぱい食べられること。




-平和のために何ができると思いますか。


自分自身を生きる修行を一人ひとりがせんといかん。

国や宗教に支配されない自分の生き方を。

じゃないと、何かあった時に自分を見失ってしまうから。

やっぱり自分から変えていかなきゃね。

一人ひとりがそうして、みんなで平和になるしかない。




-そうですね。本当に、自分の心に平和を持てるかどうかですね。


だから私なんかは今が一番平和ですよ。自分のお店で仕事ができてね、 別のお店でも働けて。こうやって仕事ができること自体がすごく幸せ。

それで人のためにいくらかなるんだったらね、こんな嬉しいことない。

今は本当にそんな感じ。







———



2024年6月20日

鹿児島 知覧特攻平和会館


特攻兵たちの手紙、遺書はどれも本当に胸が苦しくなった。ほとんどの人が、「自分が逝くことで国を救える」という「守るために死ぬ」決死の覚悟を書き残していた。

それに対して現実の特攻隊作戦の命中率のとてつもない低さに衝撃を受けた。


また、「多数見解があるから」と、命中率に関する記載が館内に一切なかったことにも違和感を覚えた。(受付の人に「命中率に関して知りたい」と訪ねたところ、プリントを手渡された)

後世の私たちがこの資料館を訪ねて学ぶべきは、「こんな作戦を繰り返させない」ことなんじゃないかと思う。多数の見解を含めてこの作戦の史実を提示してもらうことをこの資料館に求めたい。






———


2024年3月18日

広島 平和記念資料館


この歳になって改めて資料館を訪ねてショックを受けたことは京都が原爆投下の有力候補地から外された理由だった。

「日本が誇る古都の京都に原爆を落とすと、戦後日本を占領するうえで日本人の協力が得にくいと考えたから」第5回目の原爆投下に関する会議に決まったと書かれていた。

なにそれ、と思った。


広島ならよかったのか。

長崎ならよかったのか。

どこにも落とされてはならなかった。

亡くなったすべての命が尊かった。

そこには生活があった。


国を運営する一握りの争いのために何でそんなに多くの人が殺されなきゃならなかったんだろう。憤りと悔しさと悲しさでいっぱいになった。

でも、もし私が戦争の最中に生きていたら、生まれた国、育った国が違ったら。

今と同じ憤りを感じるのだろうか。


死体を運ぶことに慣れてしまって何も感じなくなってしまったと言うけれど、当時のことを鮮明に、言葉に詰まりながらも話すビデオ映像の中の戦争体験者。

「過ちは繰り返しません」という石碑。


地球のいたるところで今もまだ残酷極まりない日々を強いられてる人々がいる。


何が平和なんだろう。

どうしたら平和になるんだろう。

問いて問いて問い続ける。




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